生物多様性と有機農業・有機食品

急速に進む生物種の減少・絶滅危機

今年(2010年)は国連が定めた国際生物多様性年で、10月には名古屋で第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)が開かれます。私たちが生きるために必要な食料は、すべて多様な生物を原料としています。これを機会に生物多様性と食(有機農業・有機食品)について考えてみましょう。

現在の科学技術が及ぶ範囲では、まだ地球のように多様な生物が生息し、生物層が豊かな天体は見つかっていません。私たち人類も含めて、この多様な生物が生息する地球だからこそ生存し得ているのです。地球上にはこれまで、環境に適応して3000万種ともいわれる多様な生物種が生まれてきました。私たち人類もその仲間で、さまざまな生物種とのつながりのなかで存在しています。しかし、近年はこの生物種が急速に減少しています。

イギリスの生物学者マイヤースの推計によると、およそ6500万年前、恐竜が生きていた時代の1年間に絶滅した生物種の数は0.001種、1万年前には0.01種、1000年前には0.1種でした。ところが100年前には1年間に1種と絶滅のスピードは加速し、現在では1日に約100種、1年間に約4万種もが絶滅して地球上から姿を消しており、長い地球の歴史の中のわずか100年で約4万倍以上のスピードになっています。このままいけば、25〜30年後には地球上の全生

物の4分の1が失われてしまうという計算もあります。

環境省が発行している『レッドデータブック』(2007年)によると、哺乳類の24%、鳥類の13.1%、爬虫類の31.6%、両生類の33.9%、汽水・淡水魚類の25.3%、陸産・淡水産貝類の25.1%、維管束植物の23.8%、蘚苔類の10%など日本の野生生物種の約3割、3,155種が絶滅の危機に瀕しています。現在(2010年)では、さらにその数が増えているのではないでしょうか。

生物種が絶滅するということは、その種類の生き物が地球上からまったくいなくなることで、生物多様性が失われ、私たちとその生物種とのつながりも失われてしまいます。

生物多様性が持つ意味と3つのレベル

 生物多様性には、3つのレベルがあるとされています。

(1)生態系の多様性

気候や土壌などによって地域ごとに植生が異なり、生息する生物がつくる生態系が異なる。森林、河川、湿原、里山、海浜、干潟、海洋、サンゴ礁など個性豊かな生態系が形づくられる。

(2)種の多様性(種間の多様性)

動物や植物、微生物に至るまで、同じように見える生物でもすべての種の間に違いがあり、それぞれが交配、生殖可能な子孫を産むことができる。

(3)遺伝子の多様性(種内の多様性)

同じ生物種でも異なる遺伝子を持っており、形や模様、生態などさまざまな個性がある。

人類を含むすべての生物の生命活動は、こうした多様な生物の営みによって、相互に支えられているのです。

たとえば、私たち人間の生命活動を振り返ってみても、酸素の供給、気温・湿度の調節、水や栄養素の循環、生物が育つ豊かな土壌など生物が生存するために必要な基盤(インフラ)、食べ物、木材、医薬品、衣類、雑貨・・・、私たちの生活に必要なあらゆるものが多様な生物から成り立っていますし、品種改良や技術開発にも応用されるほか、自然と共生してきた知恵や伝統、地域性豊かな文化など私たちの生活そのものが多様な生物とのつながり(生物多様性)のなかで育まれてきたのです。

生物多様性保全に向けた国際的な取組み

生物種の減少の原因として、(1)化学合成農薬や化学肥料を多用する農業生産方法、(2)環境汚染による生態系の破壊、(3)無秩序な開発による生息地の減少・消滅、(4)乱獲、(5)里地・里山の手入れ不足、(6)外来種生物の持ち込みによる生態系の撹乱、(7)気候変動(地球温暖化)、などがあげられますが、これらはすべて人間の経済活動に起因します。

生物多様性は人類の生存を支え、さまざまな恵みをもたらしてくれていますが、生物の生命活動に国境はなく、人間の経済活動も国境を超えています。ですから、1国だけが生物多様性の保全に務めたとしても十分でなく、世界全体で取り組む必要があるのです。そのため、1992年に「生物多様性の保全」「持続可能な利用」「利益の公平な配分」などを目的とした「生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)」がつくられ、同年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境会議(リオ会議、地球サミット)で条約加盟の署名(締約)が始まりました。2009年12月までに日本を含む193の国と地域が署名しています。

この生物多様性条約の目的を果たすために2年ごとに締約国会議(COP)が開かれ、それぞれの国の取組みやその成果の発表及び新たな課題について話し合われています。本年(2010年)10月には名古屋で第10回締約国会議(COP10)が開催されます。また今年は国連が定めた「国際生物多様性年」であり、2002年にオランダのハーグで開かれたCOP6で採択された「各国は2010年までに生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」の目標年にあたります。COP10は今後の国際社会における生物多様性の実現に向けた新たな具体的政策が策定される会議と位置づけられています。

こうした国際的な生物多様性保全の動きに合わせて、日本でも2007年に「第3次生物多様性国家戦略」が閣議決定され、企業の生物多様性活動ガイドライン作成の検討が定められるなど、社会的にも生物多様性保全への取組みが求められています。また、2008年には議員立法として野生生物やその生息環境、生態系全体のつながりを保全する初めての法律「生物多様性基本法」が制定されています。

有機農業は環境・生物多様性保全のための予防原則

前述のリオ会議では、持続可能な発展を阻害するような環境破壊に対する「予防原則」が合意され、リオ宣言に「人類は、自然と調和して健康で生産的な生活を送る権利があり、各国は環境を保護するために予防的方策(プリコーショナル・アプローチ)を講じなければならない」と盛り込まれました。

この予防原則は、「科学的には証明されていなくても、環境を破壊する可能性があるものに対して予防的に対処すべき」というもので、CO2の削減目標を定めた京都議定書もこのリオ宣言の予防原則に従って取り決められたものです。CO2の増加が温暖化を招き、海面が上昇し、生態系を狂わせて環境破壊を引き起こし、持続可能な発展を阻害して人類を危機に陥れるということは、まだ科学的に完全に証明されてはいないが、その可能性があるということを前提に今から予防的方策を講じておこうというものです。

リオ会議で合意された予防原則の基づき、消費者の健康保護、食品貿易の公正取引を促進するために食品の国際規格を定める国連の専門機関WHO(世界保健機構)とFAO (国連食糧農業機関)の合同食品規格(コーデックス)委員会で、「環境を保護するための方策」として定められたのが有機食品の国際規格(有機生産食品の生産、加工、表示及び販売に係るガイドライン)です。

この有機食品の国際規格には、「有機食品を産み出す有機農業の目的は地域及び世界的な環境保全に資する(役立つ)こと」とされ、環境を保全する方法論の一つとして有機農業が国際的に位置づけられています。ですから「有機農業の第一の目的は環境保全にあり、これが国際的な有機農業の共通の認識であり、取り決めである」と言っても過言ではないのです。

有機農業は環境保全に役立つ農業生産システムであり、それが人々の健康を保護するために役立つことを欧米では多くの消費者が理解してきているので、高価格にもかかわらず、「地球環境を守る一助になれば」と判断して購入しています。ですから、年々有機食品マーケットが拡大しているのです。

しかし、日本では「有機=食の安心安全、健康」という認識が前面に出ているために、有機農業が持つ本来の意味が理解されにくいところがあります。有機農業とは、里山、森林、水、土、大気などの環境を守り生物多様性を実現していくことであり、それによって人々が健全な生命活動を営むための食料を生産し、健康に生きられる持続可能な社会をつくるための一つの方法なのです。その対価としてお金を支払うということを、生産者、流通業者、消費者も理解してほしいと思います。

農業生産を支える生物多様性(農業生物多様性)

田んぼや畑、その周りの水辺や草地、森林にメダカ、アカガエル、ゼニタナゴ、ホトケドジョウ、タガメ、ホタル、トキ、コウノトリ、チュウサギ、イチョウウキゴケ、ミズアオイなどの、たくさんの種類の生物が生息するようになると生態系のバランスがよくなり、土中の有機物を分解する微生物の数も増えて土壌もよくなってきます。

たとえば、田んぼにイトミミズやユスリカなどが増えると、それを食べるカエルやクモが増え、害虫も捕まえて食べてくれます。最近の調査で、アマガエルはイネミツゾウムシイネツトムシ、ツマグロヨコバエなど、クモはカメムシ、ツマグロヨコバエなどの害虫を捕食し、稲を守ってくれることがわかっています。

農業は自然資源を利用するために、森林伐採や開墾など生物生態系に直接的な影響を与えてきましたが、生物を育てる産業として野生生物と共生し、生物の生育に望ましい自然環境を守る重要な働きを担ってきた歴史を持っています。しかし、この50年間に開発された化学合成農薬や化学肥料、化石燃料に依存する農業は環境汚染や多くの生物種の絶滅を引き起こしてきました。また、最近では有機質肥料の過剰投入がかえって土壌や水質の汚染原因となったり、病害虫の発生を招くことになったりもしています。

また、生産効率を求めることから、種子の画一化が進められ、作物種が急減しています。人類が農耕を開始して以来7000種もの作物が耕作されてきましたが、今では世界人口が必要とする食物エネルギーの90%が、わずか30種の作物でまかなわれていると推定されており、そのうち小麦、米、トウモロコシが約半分を占めているといわれています。家畜では牛、山羊、羊、鶏、豚など14種足らずで世界の家畜生産の90%を占めているとされ、農業における生物多様性(農業生物多様性)も急速に失われています。

作物や家畜の種が多様であったことで、寒冷、高温、乾燥、冠水への耐性、特定の疾病、虫害への抵抗性など環境変化への適応や品種改良が可能となり地球上のほとんどの気候帯で農業生産ができるようになりました。多様な生物種は未来へ残すべき貴重な遺伝資源なのです。環境保全技術の開発や環境負荷の低減による生態系の保全、昔から栽培されてきた地域固有の作物種の保存などで、農業が持つ自然環境を守り、生物多様性を維持していく機能を高めることが重要で、それが、有機農業推進者が担う役割でもあるのです。

コーデックスの有機ガイドラインでは、有機農業の第一の目的は「土壌を活性化し、動植物、人間などの相互依存的なグループの健康を実現し、そのなかで生産性を最適にすること」です。つまり、有機農業は生物多様性、生物循環及び土壌微生物の活性を含む農業生態系を健全にし、それを高めるような総合的生産管理システムであることが前提です。したがって、化学肥料と化学合成農薬を使わずに、「有機肥料を使えばよい」「種はF1を購入して使えばよい」というのは、あくまで狭い意味での有機農業で、本質ではありません。

地域で実践されている生物多様性保全の取組み

日本では、2007年に農林水産省が生物多様性戦略を策定し、「農林水産分野における指標の開発」「生き物認証マーク創設の検討」「生物多様性保全に係る取組の普及促進方策の検討」「藻場・干潟の保全活動への支援」等が定められていますが、それ以前から各地で農家や消費者、小中学生など多くの人々が参加して田んぼや水辺の生き物調査が行われており、メダカやホタル、コウノトリなどが戻ってくる豊かな自然を回復させる取組み始まっています。

また、生物多様性の指標となる生物を設定し、それをブランド化して地域や農産物の認知度を高める活動が、農家、自治体、NPOなどを中心に行われています。たとえば、兵庫県豊岡市ではコウノトリを野生に戻すために「コウノトリの郷公園」周辺の水田で餌となるフナなどの魚が生息しやすいように無農薬、減農薬栽培をし、水田と用水路に間に魚道を設けて水田環境の生物多様性を復活させるなどの取組みを進め、コウノトリの生息環境に配慮した農産物を「コウノトリの舞」ブランドに認定しています。

を中心に水田の無農薬、減農薬栽培、水田と排水路の間に木製魚道の設置、中干しの時期にオタマジャクシなどが死滅しないように水田横にビオトープをつくるなどの工夫で小ブナやメダカ、ドジョウ、ナマズ、トノサマガエル、ナゴヤアカガエル、ミミズ、ハラビロトンボ、イシガメなどのさまざまな生物が戻ってきています。そして、それらの生物を捕食するチュウサギ、コハクチョウ、アマサギなどの野鳥が生息するようになっています。

まだ、完全とはいえない部分も多いようですが、これらの事例のように全国でメダカ、マガン、ヒシクイ、ハッチョウトンボ、ホタル、ニホンアカガエル、フクロウ、ニゴロブナ、さぎ草など、地域の生物指標を設定して生物多様性を保全する取り組みが行われています。

田んぼや水辺、畑地は作物を生産するほかに「洪水を防ぐ」「土壌の浸食防止」「水質浄化」「土砂崩壊防止」「水質資源の涵養」「大気浄化・保全」「気候緩和」「野生生物の保護」「保健休養・やすらぎの場」などの多面的な機能を持っています。この農業や農村の多面的機能を金額で表すと48兆円にもなる(2004年農業工学研究所、農業の環境に与えるマイナス部分を差し引くと37兆円)といわれています。農業生物多様性の保全は大きな経済的な効果も期待できます。

日本は生物相の豊かな国で、昆虫種数だけでもヨーロッパ諸国のおよそ3〜5倍も存在すると推定されおり、水田、畑地、森林、水辺など、多様な生物が生息しやすい状況がまだまだ残されています。身近な自然環境にある生物相の豊かさに目を向けることがとても大事です。そしてその身近な自然環境にある生物多様性の保全を、有機農業の実践と有機食品を購入(消費)でサポートすることも大事と思います。